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色々あって、まだハルツームにいます。
日本に帰る気はあるのでご心配なく(笑)。


何だか自分のいろいろに向きあう日々ですが、
ものすごく実感していることがあります。

中学校くらいまでは、

「天然ボケな女の子」

で通ってました。私。
ギャグとか下ネタとか分からなかったり、周りに無頓着だったり、
たまに変なこという不思議ちゃん、みたいな。



高校、大学は「天然ボケ」イメージを覆して
「しっかり者」キャラで行こうと頑張ったのですが、
やっぱりどうも抜けてるんですよねー。



特にどこがどう抜けてるって、



コンテクストがたまに読めないんですよ、話の。
周りがAの話をしているはずなのに
Bの話だと受け取ってしまったり。
そのまま話を進めてしまって「ん?」みたいな(笑)。


自分でも分かってはいるのですが、
どうもなかなか直りませんね~。
頭のネジがどっか外れてるんですよね(笑)。
大事なことは一つ一つ、確認しながら進むしかない。



こういうことを考えていると、


「結局、『障害(障碍)』ってなんだろう?」


という問いに行き着きます。


多分、人間一人ひとりがユニークな分、
一人ひとりが何かしら、周りからズレたものを抱えている。
その「ズレ」が社会的にどう思われるか、というところで
障害かどうかが決まってしまう。



例えば、知的障害を持っているひとたちは、
彼らだけが分かる言語で喋っている。
彼らの中にいると、その言語を解さない私は「障害者」かもしれないと思う。


目が見えない友人がいる。
彼らは私と握手して、声色を聞いただけで
すぐに私の気持ちや体調が分かる。
何だか全てを見透かされているみたいで、
視覚に頼って生活している私の方が「障害者」だなぁと思う。


「境界性人格障害(ボーダー)」という障害の種類がある。
自己を傷つけようとしたり、沢山の症状がある中で、
たまに「ん? 私当てはまるんじゃね?」みたいなものがあっても、
結局「障害者」かどうかを決めるのは、
「その症状が原因で職業・学業・家庭生活に支障を来しているかどうか」が
基準になるらしい。




今日はハルツームのバハリ地区にある市場を歩いていて、
道行く男性にいきなり背中を思い切り叩かれて。
思わず「何すんのよ、何がしたいの?!」と叫んでしまったけれども
彼は彼で、何かを叫びながら行ってしまった。
何を叫んでいたんだろう?
道行くアジア人を見て、何を思ったんだろう? 何を伝えたかったんだろう?
彼みたいな人をアラビア語で「maDroob(殴られた人)」と呼んだりするけれど、
私は私で、殴られてネジが飛んだ人間かもしれない。




何を優先するどんなコミュニティにいるか、という点によって
誰が「障害者」で誰がそうでないかが決まる。


だったら、決めなくてよくね?と思う。
自分と相手を分けて安心するために、
いちいちラベリングしたりしなくてよくね?と思う。


私たちはきっと、同じ線の上にいる。





「名前ってなに?
 バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」

――「ロミオとジュリエット」より
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