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合コンはさておき、
もうひとつ質問されました。



「エネルギーの源はなに?」



そんな質問だったと思いますが、
これは久しぶりに受けた質問だったので、
いい機会かなぁ、と思いながら
哲学の授業中に考え直したりしていました。
考える機会を与えてくれる友人っていいですねぇ。






答えは、



怒り、

です。
考えてみたものの、やっぱり表現は以前と変わりませんでした。






不条理への怒りもそうですが、
自分自身も残念です。





たとえば中東のこと。




パレスチナ、イスラエルのことを語りながらも
彼らの背負うものを一生かけて一緒に背負うことまでしようとしない、
いつでも逃げることが出来る立場に居る自分自身に
どーしよーもなく憤りを覚えます。
それが
自分が選び取った選択肢について回る結果だ、
ということが分かっていても。

体も心もどちらに染まりきらないことを希求する私。
イスラエル人とパレスチナ人、
両方に同時に成ることが出来ないなら、
私は死ぬまで外国人でありたい。
6年後に向こうへ渡ったとしても
私は死ぬまでニホンジンのまま。
開発だ、援助だ、平和構築だと喚いても、
結局私はお客様のまま。
当事者の苦しみをすべて理解せぬまま。

外国人として逃げ道を持つ限り、痛みを全て共有することなんて出来ない。

卑怯です。
そんな立場でパレスチナを、イスラエルを代弁する気分で居るのは。
あの場所で「平和」なんて、軽々しく口にするなら、しないほうがまだマシだ。
その言葉が、その空しい響きが、どれだけ当事者を傷つけるか。

それでも、何も行動を起こさないなら、結局私はもっと苦しいのです。








もうひとつ。

私にとっては、
私が私であること自体が”罪”です。
日本人の中でも、家族がいて、友達がいて、お金を稼げて、
裕福なことを当たり前と思う生活レベルで暮らしていること、
机の上で「平和」なんて文字を捏ね繰り回していること自体が罪です。





たとえば世界のこと。

今だって友達として大好きだと思ってるハーゲンが、
ドイツ人将校として来年どこかに飛ばされる。
彼の陸軍の同僚はアフガニスタンで殺されてる。
そんなのバカバカしい、行かないで、と言いたくなる。

彼らが行かなかったら、
他の誰かが殺されるかもしれない。
世界のどこかで何かが起きて、
誰かが武力をもってでも守ろうとしないと死んでしまったりする。
まぁ、守ろうと派遣される人間が誰かを殺してしまうこともあるけど。

軍事政権だ、占領軍だ、資本主義だ社会主義だ、
貧困だ強制労働だ搾取だ何だかんだ、

「不条理」に絡めとられてしまった人も押し潰されてしまった人もいて、








私は?





「誰かが大事だ」と言いながら
「人が死ぬのは嫌だ」と言いながら
変えるために何をするの?







祈る? 
神様も信じちゃいないくせに。

口ばかり動かす? 
しないほうがマシだって、言ったばかりなのに。







限界はあっても沢山の問題を目で見て
ありのままを受け入れて、
何が出来るのかを考えて行動する、
そうしないと、私はしょーもない私のままです。

だから、
「なんかおかしいな」と思ったことについて
自分が納得するためには
何だってやります。










「私がそう欲した」(ニーチェ)


時々バタリと倒れてしまうのも、
外大がしょーもないのも、
アラビア語が出来ないのも、
パレスチナとイスラエルに平和がやってこないのも、
ハーゲンが紛争地に飛ばされるのも、
渋谷に沢山のホームレスのおじさんがいるのも、
ギョーザに妙な薬が入るのも、
温暖化が進むのも、



私がそう、欲したからです。
そう欲さないのなら、行動で示さなければいけません。



こんなニーチェの言葉に衝き動かされているこの事態こそが恐らく、
ナミキが根暗な理由なのであります。
つける薬が無いですね(笑)。



いやー、他人が読んだら全くもってつまらない記事をダラダラ書いてしまいました(笑)。
最近の記事、つまんにゃーい。ごめんなさい。5月病ってことで。
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