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昨日の帰りの電車の中でふと思い出したのは、
10年前に飼っていた3匹のハムスターのことでした。



病気やケガで死んでいった彼らのことと
泣いて泣いてどうしようもなかった当時の私、
父が作ってくれた紙の棺の中で冷たくなった遺骸、
それが元で獣医を志していた自分の気持ちと
キンモクセイの根元のお墓が寂れていく光景、





そんなことを順繰りに反芻していると、
去年の秋を最後に会えなくなってしまった叔父の身体が
氷のように冷たかったこと、
私が生まれる前から積み重なってきた
様々な色と主張と言葉を持つ人々のお話と衝突のこと、
私の目に入らない瓦礫の下で冷たくなっていく沢山の身体、
身の回りに再びいつか訪れる「終わり」のこと、
私が日々買っては消費している沢山の命のカケラのこと、
いつかどこかで直面しかけた私の終わりのことに
意識が飛んでいきます。








いつか歌ったミサ曲に、
こんな歌詞がありました。



群鳥の(むらとりの)
わが群れ往なば(わがむれいなば)
引け鳥の(ひけとりの)
わが引け往なば(わがひけいなば)
泣かじとは(なかじとは)
汝は言ふとも(なはいうとも)
汝が泣かさまく(ながなかさまく)
朝雨の(あさあめの)
霧に立たむぞ(きりにたたむぞ)

Requiem aeternam.



群れる鳥のように 私が大勢の人と旅立ち、
引け鳥のように 私が引かれて行ったならば、
あなたは 泣くまいとは言うけれど
泣いてしまうでしょう。
そして朝の雨が霧へと変わるように
嘆きの霧が立ち込めることでしょう。

永遠の安息を。


(古事記より)












不死を、とは言いません。
人間の無力さや弱さ、変わらぬ性質を嘆くこともしません。

唯、
オモチャや見世物ではない様々な「生」ひとつひとつを
相応の重みと共に受け止めて
行動しながら生きたいと思います。





……でもそれは辛くて哀しくて。
「怒り」へ変換出来たなら逃れられるのに、

私が今居る半蔵門線の一車両の中の30人と一緒に味わうには
「怒り」は余りに食べにくい。
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