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昨日観た映画の中で、登場人物がこんな感じのことを言う。

「人間に善人も悪人もない。善悪は行動で決まる。
 悪人だって、善いことをする時がある」

そしてその5分後、彼は少年兵に撃たれる。
(「Blood Diamond」2006)

そうだね。性善説だ性悪説だなんて議論に大した成果なんて無い。
「そう在って欲しい」から、「そうでないと自分の根幹が揺さぶられる」から、
ただ善だ悪だと口に出してみるだけなのだ、きっと。
私は「全ての人は善だけれど、環境によって何かが欠けるのだ」と言うけれど、
それは根本のところ、傷のある自分自身を庇いたいが為に過ぎない。
彼も善。あの人も善。それなら、私も善でしょ?
同じ船に乗っているね、と、誰かと自分を共犯にしたいだけなのだ。


でもそれを隠して善を掲げたまま走ってゆく気だったから、
赦すよ、だってあなたも善だからと対話をするために飛び出してゆく気だったから、
私は畳の上では死なないだろうと思ってた。
甘っちょろい概念が元で、どこかで撃たれるか、心か体を潰されるかと思ってた。


あぁ、でも、と思う。
潰されるなんてまっぴらごめんだよ。
私一人だけが納得する信念を掲げ、
私一人だけが納得する働き方、死に方をしてはいけない。
私の目の前で今、一生懸命動画なんか作ってる同居人に納得してもらわなければ、
どんなに働いたってどんなに信念貫いたって意味がない。
自分を誤魔化す為の性善説なんかで、彼が納得するわけがない。


ぴん、と糸を張って毎日を生きなきゃいけない。
今日の私は善か悪か。どっちでありたいか。誰にとって善でありたいか。
ジャッジは死ぬ時でいい。
それまで悪人と言われてもいい。
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