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加害者と犠牲者との対話の重要性は、
「終わった戦争」でも「オンゴーイングな紛争」でも
同じだと思う。


WW2の犠牲者と加害者の家族が対話をするのと同じくらい、
進行中のイスラエルパレスチナ紛争に巻き込まれた家族が対話をするのは
辛くて、でも貴重で大事なことだと思う。
その対話が、名もなき市民の、掛け替えのない一生を左右する。


そんなことを、
WW2の関係者間対話を進める
イスラエル人のおじちゃんと話して思うのに、
「それとこれとは話が別だ」と流されて
きちんと伝え切れない私。
多分、心の底に迷いがある。



犠牲者に寛容を強いることはできない。
でも、犠牲者だからこそ、
比べたり優先順位をつけたりせずに
痛みに敏感になれないものかと思う。


そう思っている時点で、
私はお節介な部外者だなぁと痛感する。
知らないうちに寛容を強制しているし、
恐らく当事者の感情を受け止め切れないだろうから。


いっそのことこの気持ちも、
「感情」になるまで沸騰させてやればいいのに。
そしたら、ぶつける資格が手に入るような気がする。



「何を今更」と思われるかもしれないけれど、
私は毎日のように疑うのです。
自分は、この紛争に関わる覚悟を決めているのか。
数え切れないくらいの涙と罵倒を受け止める気があるのか。
正義と平和のバランスを取れる人材なのか。
「平和構築」なんて都合の良いことを言って、誰かの誇りを蹂躙していないか。


英語が喋れないとか、
ヘブライ語が喋れないとか、
ホントはそんなの関係ない。



私には、全身でぶつかる覚悟が足りない。
これまでやってきたこと、受けてきた恩と比べたら
信じられないくらい足りないよ。
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