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言語化しないとダメだ。
自分の言葉で語り続けないと、表現ができなくなる。

同じ言葉で語り続けてはダメだ。
凝り固まって、溜まっていく何かを取り零してしまう。


語るなら、
同じフレーズを、アレンジしたりメイン楽器を変えたりしながら伝えていく、
フーガとか、ジャズみたいなものが良いのかもしれない。


* * * * * *


今日は、久々によく喋る一日になった。
いつもの3倍は喋った。大学時代と同じくらい喋った。
面白い人達と会って喋った。
そのせいか、一年分溜まった澱が結晶化したような、そんな気分。


* * * * * *


誰かの選択肢を、創るのが好きだ。
誰かの選択肢を創る人も好き。


* * * * * *



「パレスチナへ留学する」「シリアに留学する」が
「フランスへ留学する」と同じくらい、
誰かの選択肢になればいいと思う。


「パレスチナこそ正義」「イスラエルこそ正義」という
空中論争戦に飽き飽きした人が
別の次元で議論や情報交換を交わす、ということが
当たり前の選択肢になればいいと思う。


「占領下だから何もできないよ」と思ってるパレスチナ人が
デモやテロ以外にも、
何らかの方法で今すぐ起こせる行動の選択肢が増えればいいと思う。


人を傷つけることでしか他人の興味を引けない子どもが
コミュニケーションにおいて別の選択肢をとれればいいと思う。


スーダンという途上国で、
緊急支援や国際社会の関心の届かない社会的弱者が
自分で立ち上がるための選択肢を持てればいいと思う。






私の生活は、
あまりに色々なものが混じりすぎて滅茶苦茶だ。
でも、底辺では共通点があるのだと思った。

しかもそれは、「困っている人に選択肢を」なんて清く正しい動機じゃないのだ。
創るために行動を起こして初めて、自分に価値が生まれるような気がして、
そんなエゴから来た行動なのだ。
(大体、誰かにとって、選択肢を創ろうとする人間ほど面倒な奴らはいない)

ある人は、「平和構築とは、『選択肢を増やすこと』だ」と言う。
でも私の場合は、そんな大層なことをしているわけじゃない。
誰かの選択肢を増やすことで、その実、自分のコンプレックスを埋めているだけだ。
世界の皆さん、ごめんなさい。
でも多分、これは治らないよ。


* * * * * *


この1年半で、迷いに迷って、
それでも納得したことが一つある。



選択肢を増やしたいと願うのは、
誰もが納得する社会を創れたら素敵だと思うから。
そんな社会を創れたら、自分も納得すると思うからだ。
例えエゴだったとしても。


一方で、
誰かの選択肢を増やすために尽力するなら、
より多くの人たちが納得する社会を創るために奔走するなら、

一番身近な誰かが納得してくれないとダメだ。
身近な人が納得してくれて初めて、エゴは少しだけ、正当性と社会性を帯びる。



だから最近は、


今まで取り続けてきた「無理無茶無謀」という慣れ親しんだ手法と、
身近なところを本気で大切にする、という理想の間で
ひたすらグラグラしている。



これからもまだ、グラグラするんだろう。
まぁいいよ。
そういう時期だということで、割り切って走るのだ。
平均台の上みたいな、バランスの悪いところを。
私はいつかきっと、丁度良い加減のところを見つける。
口笛を吹けるようになった時みたいに。
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