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2月8日、茨城県牛久市で自殺事件。
シャワー室で首を吊ったのは、1984年7月生まれの日系ブラジル人。
4月4日の茨城新聞で紹介された同い年の彼の死は、12日遅れで私に届きました。


「ビザを出してやれば良かったのに」

なんて、私は言いません。
罪状が本当なら、彼は日本に滞在することはできない。
代わりに思うのは、
私が病院でチューブに繋がれていた6歳の頃、
彼の家族は日本に移住して、

私が千葉県の無邪気な小学生だった頃、
彼の両親は別居し、

私が中学校で優等生だった頃、
同じ国に住む彼は家に帰らなくなり、
不良たちに殴られながらも彼らとつるんで、

私が高校で悩みながら思春期を送っていた頃、
彼は警察署に何度も連行されていたという事実を、


私はどう受け止めようか、ということです。



あぁ、日本にはまだまだ、セーフティネットが足りないんだ。

という、事実の認識から来る感想より何より感じるのは、

「どうしてこんな形でしか、”種”を蒔かせてあげられなかったんだろう?」

という、漠然とした悔しさでした。



本来、人は誰しも、”種”を持っていると思います。
電車で吊革にぶら下がるサラリーマンも、いわゆる「ニート」も、
主婦も、起業家も、留学生も、ホームレスも、キャッチのお兄さんも。
パレスチナでぶらぶら歩く若者も、イスラエルでナンパしてくるおじさんも。

その”種”の重みに、重いも軽いも無い。
蒔かれるか蒔かれないか、そこが違うだけ。
ひとたび何かのきっかけで誰かにぶつかれば、衝撃をもって”意味”が弾け出る、
価値観とぶつかる、芽を出す、人を、人生を変えてしまう、
そんな”種”が、誰にでも眠っている。



自然界の種は、時に自力で、時に風や動物の助けを借りて、
芽を出すための場所に落ち着きます。

ひとの”種”も、時に、「運び屋」が必要です。






どうして、私はもっと前に、彼の”種”を拾えなかったんだろう?
彼でなくてもいい、彼みたいなひとの”種”が転がっていることに
どうして気づかなかったんだろう?




と思ったら、

これから同じ思いをしないように、
私は”種”を預かる、受け取るひとにならなきゃいけない、

と、居ても立ってもいられなくなるのです。
自分が後悔しないために。



もちろん、
首を吊る間際、彼が社会に衝撃を与えたい、
自分を知らせたいと思ったのかどうかは
知る由もありません。
けれども、少なくとも私は、衝撃を受けたのです。
何故でしょうね。分からないような、分かるような。
もう少し、熟成が必要かもしれません。
分かるのは、これが自分の芯に限りなく近い問題だということです。






自分の”種”が誰かのもとで発芽したら、
もしかしたら少しだけ、
ひとは楽になるのかもしれません。
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