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途上国の子どもたちと一緒に折り鶴を折りながら、
平和を祈る――


そんな活動のことを聞いて、思い出したことがありました。



2005年の、大学2年生の私。
友人に頼まれて、「パレスチナの学生に届けるの」という手紙を
アラビア語に訳していた時のこと。



訳をチェックしてくれていた、
私のエジプト人の先生が言いました。



「マイ、こんなことして何になるんですか?
 この手紙、届けたって、相手に伝わるかどうか分からないのに」



手紙を書いたのは、日本の大学生。
「私は環境問題に興味があります。(中略)あなたはどうですか」
みたいなことが書いてあって、



「パレスチナの子どもたちは、環境どころの騒ぎじゃないのよ。
 それに、環境なんて、向こうじゃ気にする人は誰もいないわよ。
 この手紙が伝えたいこと、本当に相手に伝わると思う?」



当時、パレスチナはおろかシリアにすら行ったことがなかった私は、
「うーん」と考え込んでしまったのです。
確かに、訳の仕方で伝わり方は変わるかもしれない。
でも、私は伝え手が何を期待して書いているのかを知らない。
勝手に湾曲したり、ソフトにしたりする訳にもいかない。




迷った挙句、友人に聞きました。

「ねぇ、
 環境がすごく違う場所にいる人が受け取るこの手紙、
 相手にちゃんと伝わるのかな?」



「まずは、やってみることが大事なんだと思うよ」

と、彼女は言いました。





でもそれって、


と続く言葉を、私は飲み込んだ覚えがあります。



自慰行為じゃないの?











留学を経て、今思います。



あぁそれは、やっぱり自慰行為かもしれない。

でも、

それが誰かの目を覚ますかもしれない。





留学先の子どもたちは、好奇心旺盛で、
新しいものが好きで、新しい人も好きでした。
特殊な環境の中で、子沢山の家族の中で、
構って欲しい、誰かの「特別」でありたい、と全身で表現しているようでした。



そんな彼らの元に舞い込む、日本の「誰か」からの手紙。

ココロの表面を、つるっと滑るかもしれません。
それでも、もしかしたら、誰かの心を捕らえるかもしれない。




自慰行為かもしれない。
今は、環境への懸念や、平和への祈りなんて、伝わらないかもしれない。


でも、

いつかその記憶が、誰かを変えるかもしれない。





そんな可能性に賭けるのも、悪くはないかもしれないなぁと思います。
見えないところで繋がっている糸が誰かに及ぼす悪影響を考えたら、
そうやって廻っている世界のことを考えたら、

たった1人を変えるために手紙の内容が何人かに伝わらないことなんて、
まだまだ可愛いものかもしれません。
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