上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
注意!
この記事長いですw



昨夜はお風呂で寝てしまったくらい疲労困憊でしたが、
やっとテストもレポも追いコンの準備も終わったので
本日夕方から始まる追いコンまで、時間を自由に使うことができます。


で、

パジャマ(といってもTシャツとジーンズだ)のまんま
capsuleを聴きながら
本を読みまくっているわけです。
うーん幸せ。
でも勉強もしなきゃなぁ…語学は継続が命です。



ところで
一昨日くらいに、socから借り受けて一年かけて読んでいた本が
やっと終わりました(時間かけすぎ)。
なみちゃんは本を何冊か並列して読むもので。。。
今も
「竜馬がゆく」と「ペリカン文書」と「海外危険回避マニュアル」を読んでいます。

本の名前は「強襲部隊」
映画「ブラックホーク・ダウン」の原作本です。

ブラックホークと言えばアメリカ陸軍のヘリですよ。
ちなみにシーホークは海軍、ナイトホークは空軍です。
どのみち鷹なんですね。

ブラックホークは確か昨年辺りのイラクでも墜ちましたが
この本が扱っているのはソマリアの平和維持軍が失敗したと言われるあの事件。


映画はアメリカ万歳的に仕上がっているような気がしてならないのですが、
一応こちらの原作ではソマリア人側の視点や政府の対応なども取り扱っています。
そして生き残った米兵のインタビューに基づいています。


戦地で起こっていることを兵士の視点で見ることの出来る本。




だけど、ちょっと引っかかった文章があったので、「エピローグ」から引用したい。



*****
「あれが分岐点だった」と、ある国務省高官ほ語る。
彼が匿名を希望しているのは、彼の見通しが、
現在の外交政策にまったく反しているからだ。
「それまでほ、悲惨な国が悲惨な理由は、
ギャングのような邪悪な指導者が
善良で慎みのある無辜の民を虐げているからだと考えられていた。
ソマリアがその概念を変えた。
国民のすべてが憎みあい、戦いに没頭している国があるとする。
街で年配の婦人を呼びとめて、平和を望みますかとたずねる。
すると、彼女は、ええ、もちろん、あたしは毎日そう祈ってますよと答える。
なべて期待どおりの答だろう。
そのあと、では、平和な世の中にするために、
あなたの部族がほかの部族と協力することに賛成かとたずねると、
彼女はこう答えるだろう。
『あんな人殺しや泥棒と?死んだほうがましよ』

そういう国~最近の例はボスニアだ~の人々は、平和を望んでいない。
彼らは勝利を望んでいる。
彼らは権力が欲しい。
男女老若を問わずそうなのだ。
ソマリアは、
そういう地域の人々がいまのような状態にあるのは、
彼らに大きな責任があることを教えてくれた。
憎悪と殺しあいがつづくのは、彼らがそう望むからだ。
あるいは、彼らが、
それをやめようと思うほどには、平和を望んでいないからだ」
*****


この老婦人の言葉と同じような言葉を、
私は映画「ルート181」の中で聞いた。


「朝起きて、やつら(パレスチナ人)が皆いなくなっていたら
 どんなにいいかと思うよ。」

みたいな言葉だったと思う。



検討の余地を持たない排斥の言葉。

民族を相手にしたもの、個人を相手にしたもの、
それぞれ規模に違いはあれど、

例えば日本、例えばスーダン、例えばルワンダにもあって、



それはどこから生まれるのかと考え込んでみる。


それは決して最初から「彼らが望んでいたから」では無かったんだと私は思う。



別に性善説を唱えたいわけじゃない。






誰かが種を撒かなければ、そんな不寛容は発生しない。




例えば
1943年に起こったヴォヴィンの惨劇を考えてみる。
これはナチスの占領下、ウクライナ人とポーランド人の間で起こった虐殺事件。


元々ウクライナはポーランドとの間に領土を巡る諍いがあって、
ドイツはこれを占領政策の円滑化に利用する。
要はウクライナ人とポーランド人が結託して反抗してくると
ものすごく扱い辛いから、
それぞれの占領に対する不満を
相手の民族に向けるよう仕向ければいい。


簡単に言えば、ナチスはウクライナ人をポーランド人の上に置いて
民族という単位の可視化を図る。


戦時下のドイツ占領地では、
出自が生活の質を左右し、時に生死を分ける。


ドイツの周りには

ドイツ人
  …帝国ドイツ人
    民族ドイツ人
スラブ人
  …ウクライナ人
    ポーランド人
ユダヤ人

という階級に分かれた人々が居るとされて、
上であればあるほど配給も就職も有利なのだ。
そして人々は暴力的な形で民族という単位に分断される





そしてナショナリズムが発生する。




ヴォヴィンという地域は
ポーランド系・ユダヤ系の人々が地主として都市に住み、
ウクライナ系農民がその都市を取りかこんで住んでいた場所。
ポーランド系住人は
ウクライナの民族的要求を無視する同化政策を取り続けていて、

そこにウクライナ民族主義者組織が出来、求心的な民族思想が台頭し、
職にあぶれた若者が加わり、

1943年の春、
ウクライナ系の住人がポーランド系の住人を虐殺するという事件が起きる。
その数は4~6万。
ちなみに東京都千代田区の人口って約4万だよ。



ここまでの過程を、
私の東欧の授業の先生は

1.ポーランド国家の消滅&ウクライナの対敵(ナチス)協力
2.占領政策による民族的帰属可視化
3.社会の急進化・軍事化(武器を持つものが強い)

という風にまとめていました。




私はウクライナ人とポーランド人の見分け方なんて
正直分からないよ。
虐殺の時も、
誤って
言葉に訛りのあるウクライナ人が殺されたり
ウクライナ流のお祈りの仕方を覚えていたポーランド人が
助かったりしたらしい。


それをまた、
「ウクライナ」「ポーランド」って形で明確に分けて
語り継いでいく訳でしょう。
記憶を簡略化して、民族という単位を前面に押し出して。







わざわざ明るくもない東欧の知識まで引っ張り出してきて
何が言いたいか。

もう一度さっきの文章を引用してみる。
「そういう地域の人々がいまのような状態にあるのは、
彼らに大きな責任があることを教えてくれた。
憎悪と殺しあいがつづくのは、彼らがそう望むからだ。
あるいは、彼らが、
それをやめようと思うほどには、平和を望んでいないからだ」。



私は思う。

「彼らの責任」の前に、責任を問われるべきものがあるんじゃないの?



私の目には、
「パレスチナ人なんて消えてしまえばいい」と云うイスラエル人も
何かの犠牲者に見える。

そして
「彼らが悪い」というこの長官は、
責任逃れをして自国を正当化しているような気がして
ならないのです。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://janiksenpoika.blog40.fc2.com/tb.php/166-328670f2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。