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なみちゃんは3歳から15歳まで
途中で入院のために中断しながら
ピアノとエレクトーンを習っていました。


あの頃は、
「何で習ってるの?」と聞かれたら
「惰性で」と答えていたなぁ。


ピアノを弾くのが好きなわけじゃなくて、
「嫌なら止めなさい」という母の言葉の蔭に
(せっかくこれだけやらせたのに)という気持ちが透けて見えて、
毎回「…やる。」と答えざるを得なかったのでした。


強制されることで伸びる子もいるのだろうけれど
なみちゃんには合わなかったんだにゃー。





15歳で止めたのは
思春期にありがち~な
高校・人間関係その他諸々の
アイデンティティの危機の関係で
睡眠薬を処方されるほど鬱のどん底に陥ったからです(爆)。
いやー、こんな能天気娘にもそんな時期があったんですよ~。
人生色々ですw





それで、すっぱり止めました。

気持ちが良かった。




それでも、

ピアノを嫌いながらも練習していたなみちゃんは
曲に気持ちが籠もらないわ
指遣いが雑だわ
もう散々な弾き方をしていたのですけれど
それでいてそこそこに上手かったのです。



ピアノ以外にも
コントラバスやらアルトサックスやらに触れて
譜読みや暗譜や作曲や編曲はそこそこに出来たし、
雨の音まで音階に表せるほど音感も良かったのです。



それが当たり前、と思って小さい頃から過ごしてきたから
自分を表現する手段の一つとして「楽器」を使わなくなっても
こういうことはずっと出来る筈だと思っていました。
楽器で自分を表現しない日々なんて、知らなかったのですよ。







止めて6年経った今、


指は全く動かない。
残ったのは
明らかにのろくなった譜読みと少し鈍った音感。
それも
私の頭の中の西洋音階は少しずつ高くなっていくようです。
調律をしていないピアノと同じ。





楽器というものは本来、
一日触れなかったブランクを何日もかけて取り戻す必要があるような
とても繊細なものです。

6年のブランクというものは
途方もない。






でも
ほぼ全てを失ったからこそ、
新しく構築していくものは
前とは全く違ったものになるでしょう。
寧ろ、歪んだ気持ちで楽器に臨んでいた私は
全てを失ってしまう必要があったのかもなぁ。






と思いながら、
誰も居ない木曜朝の自宅でこっそり
ハノンとかソナチネとかを練習しつつ
エルダーの「愛のあいさつ」を原キーで弾けることを夢見る
なみちゃんです。
先は長~い。







こうやって、
楽器は私のことをずっと待っていてくれるけれど、

人は私のことをずっと待ってくれるわけではありません。



一度歪んでしまった気持ちというのは
一体どうやって理想の状態にもっていけばいいのか。


多分、双方が心の底で改善を望むなら
痛みを覚悟して本気でぶつからないといけないのです。



かたっぽの人しか望まないのなら?
そりゃー暫く寝かせて熟すのを待つか
外からの介入を要請するしかない、のかな。
何年かかることやら。




そういうことを、
他人や自分の周りを見渡して
最近思います。
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