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レバノンの新聞「An-nahar」より



戦闘が激化しています。
戦争が始まりそう。いや、始まっている。
そのうち誰かがこの戦争に名前をつけるだろう。


「イスラエル・レバノン戦争」?


いや、
湾岸戦争を第5次中東戦争と見るならばこれは第6次中東戦争。
イラク戦争はそもそもその呼び方がアメリカからの立場を表すから
反論はあるけれど私は第6次中東戦争と呼びたい。

それならこの戦争は、第7次中東戦争になる。



呼び方は大した問題じゃない。
見据えたいのはアラブが嘗めてきた辛酸。



第1次中東戦争は
イスラエル建国をめぐって起きた。1948年に。
国連のパレスチナ分割決議の直後だ。

第2次は1956年。
スエズ運河の国有化を宣言したエジプトのナーセルを
英仏イスラエルが爆撃。

第3次は1967年。
エジプトが海峡を封鎖したことに対し
イスラエルがエジプト・シリアを攻撃。
6日でイスラエルが圧勝、ゴランとヨルダン川西岸を占領。

第4次はラマダーン中に勃発、1973年。
エジプトとシリアがイスラエルを攻撃。
政治的な決着がつき、パレスチナ人は救われず、

1987年、パレスチナ人が自らイニシアチブを取って
”振り払うこと”インティファーダを起こす。
彼らが石を投げることから始めた抗議活動に
イスラエルは実弾で応じ、

1990年、第5次中東戦争と呼ぶべき湾岸戦争開始。
第1次イラク戦争とも呼ばれるけれど、
別にイラクが何もかもお膳立てしたわけではない。

第2次インティファーダは2000年。
シャロンが1000人もの武装兵士を従えて
エルサレムにあるイスラームの聖地である
アル=アクサーモスクに入場したことに
パレスチナ人が抗議行動を起こして。

イラク戦争は2003年。
私はこの時初めて、主体的に「中東」を見るようになった。








確かに、アラブ国家は「未熟」な面がある。

それは強国側から押し付けられる「民主的」という尺度で
測った場合だけではなく、

様々な点で国民を不条理に悲しませているからだ。
(それは日本もアメリカも実は五十歩百歩だ、
 偉ぶることは許されまい)





でも、


彼らは国際政治の中で窮地に置かれ続けてきた。
私たちは政治のレベルでも日常のレベルでも
彼らを窮地に置き続ける視点しか持たない。



「非民主的」だとか「独裁」だとか「テロ支援国家」だとか、

「可哀想」だとか「怖い」だとか「危ない」だとか。






私は本当に今の状況を悲しく思って、
国際政治の力関係に対して憤っている。
一人になると何も手につかない。馬鹿みたいだ。



その力関係の下で、

今、色々な人が喜び、悲しんでいる。


こっちの戦艦が爆撃を受けて沈没したらしい。
でも制空権はこっちのもんだ。じきに勝てる。

あっちの飛行機がこっちの民間人を何人殺した。
でもこっちには誘拐したあっちの兵士がいる。



誰かが号泣する瞬間に誰かが狂喜する。




誰かが笑う時ほかの誰かが泣くのは、
人間として当たり前のことだ。人間はそういう生き物だ。

でも、


ねぇ、これサッカーの試合じゃないんだよ。
人が死んでるんだよ。




「狂ってる」、と
”平和に”生きる私たちは思うかもしれない。
でもこれが人間だから、





憤りを抱える私が
事態の収拾に貢献したいと願って始めなくてはならないのは、



この憤りのカタチは心に仕舞い込んで、

この憤りを
「可哀想と思う人たち」に対しても
「笑う人たち」に対しても
通用するようなカタチに
翻訳することだ。






あぁ、気が遠くなる。
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