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今日はラーマッラーのRitnaホテルで
映画の試写会に参加してきましたよっ。




映画は、

ドキュメンタリー映画「Encounter Point」。
2006年に出来た映画で、
パレスチナ・イスラエル・アメリカ・ブラジル出身の4人の女の子が撮影・編集。





焦点は、
家族をテロや狙撃によって殺されたイスラエル人と、
家族をイスラエル軍の侵攻のなかで殺されたパレスチナ人が、
共に悲しみを分かち合う機会を作って交流してるところ。



そこに参加する人たちが
それぞれ一体どういう思いを抱えて
どういう行動を起こしているのか、


そこに焦点を当てた85分のフィルムです。








実際、イスラエルとパレスチナの交流団体は結構あるわけですが、



その一つの会合を映すなかで、
あるパレスチナ人がこう言うのです。





「こういうのはどうだい?
 タバコを吸いたいパレスチナ人はイスラエル人の店から、
 イスラエル人はパレスチナ人の店から買うっつールールを作るんだ。
 平和なんて、一日で訪れるよ(笑)」





要は、一度踏み出してしまえば簡単かもしれないことが、
encounter(出会う)までが大変で、なかなか実現しないってこと。
きっかけが無くて。









終わった後は討論会へ突入。








白熱しすぎてコップが割れたりする勢いの議論の中、
印象に残った言葉を挙げて、おしまいにします。





「イスラエル人にとっては、平和があれば”もうちょっと豊かな生活”が送れることを意味するけれど、
 我々パレスチナ人にとっては平和が生活の始まりなんだ」



「(監督のパレスチナ人の女の子に向かって)
 君のご両親は殉教者じゃないだろ?
 君の身内に犠牲者は居ないんだろ?
 こんなの、全てのパレスチナ人を代表してるとは言えない!」
 


「文化的なものや我々の生活に焦点を当てない、
 紛争ばかりを扱ったドキュメンタリーを作って
 一体何になる?
 世界の人々は本当のパレスチナを知らないままじゃないか。」



「我々は、言葉だけじゃなくて、
 手で直に触れられる何かがほしいんだ。
 対話なんてものは、今まで散々やってきたじゃないか。
 それで何になったっていうんだ?」







アラビア語・ヘブライ語・英語三ヶ国語の字幕がついたこのフィルム。
翻訳の仕方までツッコミが入る。


「自爆」なのか「殉教」なのか、




「normalization」とは一体なんなのか、
「Zionism」は一体どういうものを指すのか。





白熱した議論の中でぼんやり感じたのは、


「イスラエル側の人間が歩み寄ろうとしている」
「パレスチナ側の人間が応じようとしている」
「一緒に行動を起こせる」



という事実を受け入れる準備が出来ている人は、
私が思っていたより少ないんだ、ってこと。




兄弟が殺された、検問で服を脱がされた、
家を壊された、土地を奪われた、


その怒りや悲しみを簡単に変えていけると思っては居なかったけれど、
改めて壁の高さを感じます。










今まで信じて支えにしてきたものを崩されるというのはきっと、
言葉に例えようもないくらい痛いことなんだろうから。
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