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今回はちょっと気合を入れて真面目記事でふ。
コメントつかなさそうwww



エルサレムには
「ヤド・ヴァシェム」と呼ばれるホロコースト記念館があるのですが、


こいつがイスラエルにあることは実は
「当たり前」ではありません。
ユダヤ教というもの、イスラエルという国を
平面的にしか捉えない結果、
当たり前に見えるだけです。







「ユダヤ人が大量虐殺に遭ったこと」を
イスラエルが何故代表して糾弾しなきゃなんないのか、
何故ベルリンやアウシュヴィッツ、ワシントンにまで在るものを
イスラエルにも作らなければならないのか、
(だって強制収用キャンプはイスラエルには無かったのに、)
と考えたときに、







まず浮かぶ疑問その1。

「イスラエルは全てのユダヤ人を代表できるのか?」



答えは「no」。
イスラエルに反対するユダヤ人だって、アメリカ辺りにわんさか居るし。
ユダヤ人にも多様性がきちんとあるのです。








疑問その2。

「イスラエルはユダヤ人の国なのか?」


この質問に「Yes」と答えた瞬間、
イスラエルは民主的な国ではなくなると思う。

CIA The world fact bookによれば、
イスラエルのユダヤ人人口は約3/4。
約1/4は非ユダヤ、つまりほとんどアラブ人。
1/4は無視できる数字じゃないだろ~。


「西岸もガザもイスラエルの土地だ」
と主張する人が居るならば、
イスラエルはますます「民主的」から遠ざかる。
例を挙げれば西岸なんかは、
75%がムスリムで、ユダヤ人入植者は17%だもの。


そもそもエルサレムに住むアラブ人は、
イスラエル市民権を持ちつつもイスラエル国籍は持てないのね。
彼らの立場は「イスラエルに住んでるヨルダン人」。
選挙の投票も出来ないし。


でも別に彼ら、ヨルダンから引っ越してきたわけでもなく、
先祖代々エルサレムに住んでいるわけですよ。
それが何でエルサレムを統治している国の国民になれないのか、
そこをよくよく考えてみれば、
何故にイスラエルが「ユダヤの国」を名乗れる立場を誇っているのかが
頷けるのであ~る。






疑問その3。
「じゃぁイスラエルの成り立ちはユダヤとは関係ないのか?」


答えは、
「関係が在りも無くもある」
と言った感じ。



そもそもイスラエルの地にユダヤ人を連れてこよう、という試みは
ホロコーストが明るみに出る前の、1890年代から存在していたけれど、

それは別にAnti-Semitismを解決する手段としてでは無く、
近代化の波に晒されたユダヤ人がユダヤ性を如何に維持するか、
"ocean of foreign culture"から自らをどう守るか、

という手段の一つに過ぎなくて。

(racious-linguistic connectionをベースにした差別である
 Anti-Semitismの解決は
 equalityの追求として手段化されるべきで、
 イスラエルに逃げて建国することはequalityの実現には繋がらず、
 結果としてAnti-Semitismを解決することにならないから。)



それまでのユダヤ人はイスラエルの地への帰還を
メシア到来と結び付けて考えるPassiveな団体だったけれど、
イスラエルの建国を目指すZionistとしての一部のユダヤ人は
イスラエルの地への帰還を政治活動を通して実現しようとする
Activeな団体だったから、


ここで「ユダヤ人」の再定義が行われることになるでしょ。
伝統を一度捨てて、ナショナリズムの衣を纏い、政治団体となり、
labor movementの流れすら起こってくる。


そこでその世俗性に反発するユダヤ人、
Zionism運動が全てのユダヤ人を代表するかのような形で
活動を行うことに反論するユダヤ人、
本当は色々な論調があって、
Ahad Ha'amやAnglo-JewishなんかはTheodor Herzlの論文に
反論してすら居る。



まぁ結果として東欧の経済状況の悪化や
ユダヤ人迫害活動のエスカレートの結果、
イスラエルの地に流れてくるユダヤ人は増えたわけだけれど、

イスラエルは全てのユダヤ人の合意の上に始まったわけではなく、
Anti-Semitismの本当の解決ではなくNationalismとして起こったこと、
この点は見逃してはいけないのであります。






ところで1941年11月28日、
ヒトラーとハッジ・アミン・アルフセイニ(当時のアラブの代表者)が
ドイツのベルリンで仲良く面談なんかしてたのですが、


これって「アラブがユダヤ人と仲良くなかった」っていう
大きな証拠じゃないですか。
その文書も写真もばっちり残ってるんですけど。



でもホロコースト記念館ヤド・ヴァシェムには、
その写真は展示されていないのです。

「アラブすらユダヤ人の敵だった!!!」
って言うには最高の資料なんですけどね、



でもこれを展示すれば、
「何故Anti-Semitismの存在しなかった中東で
 反ユダヤ的運動が起こったのか?」
という質問を投げ掛けざるを得なくなる。
するとユダヤ人のイスラエルへの入植活動で
アラブ人の反感を買っていたことを掘り下げる羽目になり、
結果として「犠牲者としてのユダヤ人」の他の面が
浮き彫りになってしまうわけ。





まぁそんな訳で、




博物館というものにはそれぞれ
隠されたメッセージが込められているものですが、



ヤド・ヴァシェムの場合、資料と建物の構造が強烈で、
ついつい呑まれそうになります。
そこで圧倒されてしまうとお終いであります。




某イランの首相のように、
「ホロコーストは存在しなかった」
というつもりは毛頭ありませんし、
そんな滅相もない。





ただ、





多分、歴史というものは
いつまでも議論に晒されなければならないのです。
統一見解が出たとか、もう結論は出ているとか、
今更そんなこと持ち出して何のつもりだとか、
またAnti-Semitismなのねいい加減にしてよとか、
犠牲者の気持ちを考えて頂戴まったくもうとか、

そうやって怠けてはいけないのであります。





古いから、歴史があるから正しいとか、
無実の犠牲者がいっぱいいるから可哀相とか、

何事もタブーのように封じてしまうのではなく、
全てを何度も何度も議論のテーブルに上げて、
詳細を掘り起こしていくことが歴史家の役割であって、
それに加わっていくのが市民の役割であって、
本当に平和を願う犠牲者の義務でもあると思います。





そう考えると、
この間の久間発言なんかも、
実は興味深いのかも。

アメリカなんかに行くと原爆投下の認識は全く違う以上、


犠牲者の気持ちを考えろとか不謹慎だとか、
そんなこと言う輩は辞めろとか何だとか、

そんな日本的なものに包まって放置されたままじゃ、
世界は何も変わっていかないのに。


声を上げ続けないと、
自己研究を絶やさず行い続けないと、
多分、世界は耳すら傾けず、納得には程遠く、
「あぁまたなのね」と聞き流されて忘れられていき、

また同じことが起こるのです。







という訳で、
なんちゃってPrimo Leviな日記でした。
さて、注文していた
「 The Drowned and the Saved(溺れるものと救われるもの)」、
本屋に受け取りに行ってこよ~っと。
私のセカンドバイブルであります。
ちなみに一冊目は「鏡の中の鏡」(byミヒャエル・エンデ)です(笑)。
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